かげきよたけがいきたい

自己満足で。弾けたら嬉しい。主に僕の心に正直な事をここに記していければと思っております。

スーサイド・トイボックス

はじめに

久々にシラフで真面目にブログを書きます。書きたい気持ちになったから書く。これ以上無い書き時だと思います。

ブログを書くときはだいたい先にブログのタイトルから考えているんですけどなかなか思いつかなくて、これを打ち込んでいる時点ではまだ思いついてないしなんなら今回は色んなことを喋ろうと思うのでとっちらかったものになるだろうし「無題」で出したいくらいなんですけどちゃんとタイトルはつけようかなあって思います。

いつも通りですがこれは自分が書きたくて書いてるブログで吐き出したい気持ちの置き場所なので人のために書こうと思って書いている文章では無いです。それを理解した上で僕の思考を覗き見たい人は見てください。

それではやっていきます。

 

向き不向きの話

やっとこさ収入が安定して、それによってやりたい事も出来ているので心も安定してきました。

今まで正社員になるも半年と少しでやめたスーパーの青果部門も、バックれて逃げ出した某大手パン工場の日雇いも、ドラッグストアのバイトもみーんなしんどくなって出勤前にひどい嗚咽をしながら何回か勤務して限界が来て遠くに逃げてから辞めてました。

完全にこれまでの僕はただただ仕事ができない人間で、人よりも仕事から受けるストレスを耐える精神が弱いんだとずっと思っていてそれで悩んでいて、意を決し一応口コミをチェックしつつ評判の良さそうな近所の心療内科に診てもらいました。

病院では上に書いた過去からこのようなことに悩んでいると話すと先生は

「いやぁ、まあでも仕事の向き不向きはあるからね、若いんだしゆっくり向いている仕事を探す段階でいいんじゃないかな。焦らなくていいと思うよ。」

と言ってくれて。

いや、わかる、わかるんだけど当時の俺からしたらもうバイトが途切れ途切れで収入も不安定で金が無くて、そんなゆっくりしてられないんですけど先生…って気持ちでいっぱいでぐちゃぐちゃですんごいことになりましたその時はもう。

ただその時唯一継続して続けられていたのが現在も朝の時間帯に移動してやっているパチンコ店の営業時間外での清掃でした。

これが継続できている理由は単純に特殊なバイトで時給制ではなく1勤務あたりで給料が出る形で、何より仕事をする時間が短いのでその負担の軽さから継続出来ているんだろうなあとだけ考えていたんですけど、次のバイトを探す時に「もしかして清掃でこれだけ続いてるなら清掃向いてんじゃねえかなあ」って思い立ってすぐ検索して応募。そんな新清掃バイトは気づいたら今日で3ヶ月続き、4ヶ月目に入りました。

まさしく清掃という仕事が自分に向いていたとしか思えないし過去あったような不安感からくる嗚咽などはまだ1度もないのでこのバイト先では何もトラブルの無いようにしっかりと仕事をこなし、しばらくお世話になりたいと思う限りです。

あの診断を受けた時の自分はかなり焦っていたけど1回で清掃が僕の向いているものだとわかって職場の方にも恵まれて安定し始めていることは本当に運がいいのかもしれないんですけど、運が良いなら良いでラッキーで大丈夫なとこだと思うし神様に感謝しておきますね。

 

向き不向きのおまけ

これはたまたまかもしれないんですけど向き不向きの話でもう少しお話します。

前回のふざけたブログ↓

誇張しすぎたマリブ・ライム・コーラ - かげきよたけがいきたい

は半分酒の勢いで書いたんですけど、お酒の場でブログを書くことになった理由がその時お酒を飲んでいたうちの一人が紙のカードゲームをやっていてそれがなかなかメジャーなタイトルではないし、さらに言えば使っている人も少ないデッキを使っているのでそれについてブログでまとめればニッチな需要に答えられたりするのでは?という所から「かげきよブログ書くし書き方教えてよ~」みたいな流れで書きました。

なのであのブログはブログを書く上でのテクニックだけとりあえず詰め込んで中身パッと見はすっからかんで申し訳程度の言いたいことを添えたものなんですけどもそれをバーーーーーっと文字にして打っている最中にもみんなが「ええ~!よくそんなすぐ文章打てるねぇ!?」みたいに言ってくれて。自分はこれを書いている今も頭に浮かんでいる言葉をそのままスマホで打ち込んでいるだけなのであまり脳みそを使っていません。

でもみんなは「その文章を作るのが難しいんだよね~」って言ってたんでそうか~としかなれなかったんですけど、これも僕の向いている部分なんですかね、長所というか特技というか。そういう部分なのかもしれませんけど少し思ったのは自分が書いてる文章は前置きした通り人に見せようと思って書いている文章ではないしいくら適当に書いても気にしなくていいんですよね。何かを紹介したりデータをまとめていたりする、人に見られることを考えたブログとなると見てもらうための努力をしなきゃダメなのでそこの差は大きいよなあと。僕はそんな努力しながらブログを書きたくないし、そもそも自分のブログは頭使わずに頭から出てきたものをなるべくフィルターを通さずそのまま置いておく場所にしたいのでその意識のズレはあったのかもしれません。

そもそも需要を考えてこのブログ書いてないしね。

そこんとこは難しくて何も考えずに自分みたいにブログ書いてるのに需要を満たしてるのなんて大人気の芸能人ブロガーくらいだと思うので、自己満の範疇で人に見られる努力をしたブログを書ける人はすごいと思いますし、それを出来たらちゃんと評価はされる物になると思います。

向き不向きから脱線しそうなのでこれはここまでにします。

 

大人論再び、殺人犯は?

これ俺多分もう言いすぎて自分でももういいよってなってるんですけど、それでも言いたくなるというか周りに自分の基準ではあるけど「大人じゃないな…困るなあ…」って思う人、出来事ってまだまだあってわー!!!!ってなるんですけどだいたい大人かどうかみたいなのって自我と周りへの配慮とのせめぎ合い次第だと思ってて、自分が大人じゃないって思う人達は自我が勝ってしまっていると言い変えることも出来るとは思うんです。最近自我を通す人の方がそりゃ自我を通してるんだから自分の思うことを通した分気持ちよく生きているよなあって思って悔しくて悔しくてしょうがなくて、もっと言いたいこともあるんですけどなんかちょっとこれは恥ずかしくて、バレてそうな部分もあるんですけどブログで書くべきではないところもあったのでこの話の先を聞きたい人は@kgky_9にDMとかしてみたら熱い話が出来るかもしれないです。

自我を通していい時はそりゃ通してて立派と思うけども周りも見なきゃ行けない時にまでやってしまう人たちを僕は大人じゃないなあと思ってて、これが通るのって通す側が通してるんじゃなくて周りが通してあげてるのもあるんだと思うんです。いやこれは僕の考えなんですけど、通す側の意見は壁を貫いて通ってるんじゃなくて、壁が避けてくれてるから貫いてなくても貫いた時と同じく壁の向こう側に行けているだけなんです。僕は常日頃みんなを守る壁として生きています。そしてそれがいくら理不尽な自我だとしても僕は優しさでどいてあげてしまいます。

これがどんなに愚かなことか、そろそろ自分もこれを考えなければならない。もちろん自分の立ち位置を把握し、何をしているかに向き合い、どうするべきかを考えて一番いいことを選ぶのが大切。でもあまりにも損をしすぎて辛くなって、じゃあこれから僕が壁の向こう側へ行きたいとなった時にはもう僕の周りには壁すらなく無数の自我が僕に向いているんです。

自我と自我がぶつかり合ってしまうことほど不毛なことはありません。

僕は自分で望んで壁になることを選び、選びつづけた先で自我を殺して生きて行きます。

自分で選んでやっていることなので誰も罪に問えないんです。僕を殺しているのは僕だし。いつまでも自殺を繰り返しながらみんなを笑顔にするのが僕の役目なのかもしれないし、それが一番平和だし、ため息をつきながらでもまた何か理由をつけて元気を出せばいいんです。

 

 

 

ただそれでも僕は一つだけ、いくら不毛とわかっても1回でも自我を通し、何か良くないことを起こしても、自我によって得た結果なら納得できると思って行動したいことが出来てしまいました。

自分も怖いけどいつか動くその日は来ます。

それまでに整理がつかずにまた僕は壁に戻ってしまうのか、僕の自我のために砕けてくれる壁にみんながなってくれるか、自我と自我のぶつかり合いになりその先で何かが起こってしまうのか。

自分の中で何かは変えなきゃいけない、でも変わらずに居たから得たものも当然あったかもしれない。

これからも僕は考えながらいつか来る、行動すべき、ふさわしい日を待ちます。

 

最後に

もしここまで読んでくれた方が居たらありがとうございました。

脅すつもりで書いたわけではないけどやはり僕にだって自我をぶつけ合って相手をぶっ殺してでも通して掴みたいものはあります。

本当はみんなが大人になるのが一番いいことなんですけど、大人がガキを殴るわけにはいかないんで、僕もガキになってガキ対ガキで喧嘩するか、大人と大人の付き合いするかなんです。

寝たらまた切り替えられると思いますが、今日という日の気持ちの整理、決意としてここに記しておきました。

 

 

 

あなたはタイトルから何を受け取りましたか

 

 

 

以上です。