涙の理由とラブレター
この記事を書いている時多分僕は涙を流してます。
わかる人にだけ伝わる言い方をしますが、僕が高校1年生の頃からとても仲良くしてくれた人がこの春めでたい事に就職し、新社会人になるので必然的に学生時代のような頻度で会えなくなるのです。実際どうなるかはまだ分からんけど…
この人と俺がお友達になったきっかけはゲームです。その人のプレイしてる動画を見て「うわぁめちゃくちゃ上手いじゃん、やるわこの人かっけえわ」くらいな感じで憧れとか、ファンみたいな一方的な好意でコンタクトをとったら快く一緒に遊んでくれた所からでした。その頃の僕の圧はすごくて若干気持ち悪いくらいでした。それでも仲良くしてくれたからこそ今があるなぁと思います。
とあるゲーセンで週末によく集まりゲームをし、飯を一緒に食って、色んな友人を紹介してもらって、色んな場所にも行ったし正直思い出がたくさんです。だからこそ会う頻度がどれだけ下がるかは分からないけど何かこれが一つの区切りなんだなと思うと寂しくて。
だから僕は今涙を流しています。
この涙のきっかけの人に感謝してます。
本当にありがとうございます。
そして当然一生会えなくなるとか、遠くに行っちゃうとか重すぎるような受け止め方もしてませんので!これからもどうぞよろしくお願いします。
どうかこれはブログという形のメンヘラみてえな文面のラブレターとして受け取ってください。
またここから「涙」について語らせてください。
皆さんどんな時に泣いてますか。
僕の中での涙の位置づけは
「喜怒哀楽が自分の中で受け止めるだけじゃ足りなくなった時に出るもの」
だと思っています。
僕の涙を今までの人生で振り返ると
喜→フロンターレの優勝 好きなアーティストを初めて生で見た時
怒→友人との喧嘩
哀→卒業式、上に書いていたこと
楽→友人との通話で笑いすぎて
と、涙する時は必ず喜怒哀楽いずれかの感情が最高潮になっていました。そしてこの涙を流してきた経験たちは本当に今思うと経験できて良かったなぁという素敵な心の財産になっています。
自分が感情移入が出来て喜怒哀楽の感情を強く沸き起こさせてくれる対象は絶対作って欲しいし大切にして欲しいです。
僕で言えば音楽、フロンターレ、普段一緒にいる友人がその対象でした。
これらが僕の心を満たしてくれて、生きてきてよかったと思える経験を与えてくれました。
だからこそ先程のラブレターの終わりにも感謝を伝えさせていただきました。
そしてこのブログを書いた今心の財産がまたひとつ増えたのだなぁと実感が湧いてきました。
Twitter @kgky_9