かげきよたけがいきたい

自己満足で。弾けたら嬉しい。主に僕の心に正直な事をここに記していければと思っております。

appreciation

時が経つのは早い

前回のブログ11月から早いもんで約4ヶ月くらいが経ちました。もう既に時は2021年、「今年は最低でも月イチでブログ書くぞ〜!」なんてほんのり思ってたら3月ですよ、本当に早すぎるって。

たまたまだけどこのブログを書いている今日は東日本大震災から10年という節目の日です。10年前は12歳、当時はもう学校での授業は無くて小学校の卒業式の練習を終え、母親と姉と自分の3人で金八先生の再放送を見ていた時に地震が来たことは10年経った今でも覚えています。

またみんなが何も気にせずに心から笑えるように頑張って行きましょう。以下いつもの前書きです。

 

ここはあまり見に来る人への配慮をあんまり考えたくない場所なので、気をつけてはいますが読んでる人の気分を害する表現もあるかと思います。なお今回は話が『Vtuber』に寄って行く予定です。精神的に余裕があって「まあそういう考えもあるよね」くらいの気持ちで見て行ける人にここから先を見ることをおすすめします。不安な人は今これを見てるあなたと私のためにここで読むのやめてもらって構いません。ここから先を読むならばあなたの判断で読んだことになるし、そこで起こった感情に私は責任を持ちません。やっていきます。

 

 

引退と卒業

まず今日ブログを書こうと思い立ったきっかけは、僕の友人Dくん(わかる人はわかるけどこれはDが正しいのか?…Iか?…)が推していたVtuberの「御伽原江良」が3月10日の活動2周年のタイミングでにじさんじを卒業するということで、それに対しての想いが書かれているブログを見たこと。

久々に良いブログを見た、善し悪しとかではなく自分の感性にグッッと来るものがあったというのが正しい気がする。というのがその友人のブログの感想でオタクとしての推しへの想いってこれくらい無いと〜!って思うしそれと同時にそれだけに卒業というイベントはとてもとても重いんだと、改めて思い知らされました。

 

前提として私はこの話題に対して知っていることはその友人のブログに書かれていたこと、御伽原江良のTwitterアカウントでの卒業報告ツイートくらいでこれまでの歩み、追っている人なら得れる情報などが私には無いということを分かっておいてほしい。

 

 

これは御伽原江良の卒業ツイート。私は本当に何も知らないので「『にじさんじ』を卒業ってことはFAワンチャン?」とか勘ぐってしまったんだけどそういう事はないのよね?

芸能人で言うところの「芸能活動引退」みたいなことで「にじさんじを卒業及びVtuber活動引退」って事となるのがいまの正しい解釈なんだろうか。

 

引退と卒業ってまあその人の活動の終わりによく使われるワードだけど自分が関わっていたコンテンツだとサッカー選手における「引退」、アイドルにおける「卒業」「引退」があった。最近の話だとずっと応援しているサッカーチーム川崎フロンターレの歴史とも言える中村憲剛が2020シーズンをもって現役サッカー選手を引退した。

これについてはとてもとても悲しくて本当に震えてはいたものの落ち着いた頃には引退記念のインタビュー記事に始まり、現役時代から話術の巧みさ、着眼点の鋭さで話題になっていた解説者方面へとひっぱりだこ、現役時代には出来なかったであろうメディア露出がどっと増え、ファンとしてはいわゆる「ケンゴロス」みたいなものはかなり少なかったと思う。当然もう中村憲剛フロンターレのユニフォームに袖を通し、ピッチの上でプレーすることがないと思う度に寂しくはあるけれど落ち込みは間違いなく浅い。

 

アイドルの方では私はハロープロジェクト(有名なとこはモーニング娘。とかおるやつね)のアイドル アンジュルムのメンバーである竹内朱莉を推して「いた」。

過去形の表現をしているのはいわゆる懐古厨的老害の感覚なんだけどあの頃は好きだったけど今はまあ。うん。みたいな感じになってしまい昔ほどの興味関心はなくなってしまったからなんだけど、とはいえ私の青春の1ページに竹内朱莉がいた事は間違いないし昔の映像を見ると胸が締め付けられるような感覚になってしまうことはまだまだある。

現在竹内朱莉はまだアンジュルムに所属しており現在23歳にしてグループ内最年長、グループ内のリーダーになっている。ちなみに同期(2期)に加入したメンバーは4人居たが竹内以外の3人はすでに卒業しているので竹内もいつ卒業してもおかしくないとは思う。(ハロプロ25歳定年説みたいなものは噂レベルで一応ある)

とはいえハロプロのアイドルにあるのは卒業後もタレントとしてやっていくパターンである。それこそ1番メジャーと思われるのはももちこと嗣永桃子先生だと思う。あとは名前を出していいものか複雑だけど矢口真里なんて正しくそういうこと。アイドル活動は卒業したがタレントとしての活動はアイドル時代と同じ事務所に籍を入れたままやっていくというのも珍しくないので、そういった露出があるなら前述した中村憲剛のようにいわゆる「ロス」的要素は少なくなると思う。

 

少し話は長くなったけどここで話を御伽原江良及びVtuberに戻して行きたい。

僕が思ったのはVtuberには自分の知名度を利用したセカンドキャリアが無い、それによってファンは1つ活動を終えた推しをそれ以降本当に感じる場がほぼ無いということである。

当然過去の切り抜きを見たら会いには行けるが、これから先推しがライブ配信を始め、喋り、また新たな楽しみを生み出してくれることはもうないのだ。

このようなことは正直Vtuberに限ったことではないが、とはいえスポーツ選手もアイドルも完全に露出を意識して抑えない限りはセカンドキャリアでの露出、発信において推しの存在を感じる場がある。

Vtuberは引退してしまったらその存在をその後感じる術がない。あまりにもオタクに救いがない。これはかなりメタっぽい発言になってしまうけど仮にギバラ氏に声を当てていた人が特定され、及びSNSのアカウントも特定出来たとしてもそこで感じられるのは御伽原江良では無く御伽原江良を引退し、御伽原江良の声をやっていた女の子ということ。(ここで仮に中の女の子とアカウントを見て「ギバラだ〜」ってなるくらいVtuberに中の人が乗っかっているならばそれはそれは素敵な事だとは思ってる)

サッカー選手もユニフォーム姿でのプレーは見れなくなる、アイドルもあの衣装を着てステージの上で歌って踊る推しは見れなくなる、がその先でまた違った顔を見せてくれる可能性は大いにある。それがVtuberには無い。物の性質上仕方の無いことなんだけどそれがあまりにも切ない。辛い。

 

終活

散々書いたがだからといってVtuberを推すのは賢明ではない!とかそういうことを言いたいわけではない。ただ他のジャンルの推し事と比べるとVtuberの引退ってのは「ロス」がめちゃくちゃでかいんじゃないかと思う。

このロスとどう向き合うのかは本当に難しいし、別にアイドルだってタレントにならず、モデル、役者にもならずに一般人に戻りたいといって消えていく子もいるし、中村憲剛ほどビッグネームでなければ存在を感じれるほどの露出が無いサッカー選手だっているはずだ。

でも推しを作ってしまうオタクとしていつか来たる推しの活動の終わりとは向き合っていかなければならない。

なんならそれを繰り返して強くなっていくのかもしれない。これは某J事務所の🐢↑㊥のグループを推している姉を見ていたらなんとなくだけどわかったこと。その中で耐性がついたり推しを乗り換えたり、依存度の管理が出来るようになったり、付き合い方がわかっていくのだろう。

 

久々にブログをかけて良かった。

たまたまだけどきっかけになったDくん、御伽原江良氏に感謝とリスペクトを込めて。

 

おつえら!

 

@RIP_kgky_9